『愛人(ラマン)』 ニンフェットの告白 その1
- 作者: マルグリットデュラス,Marguerite Duras,清水徹
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1992/02
- メディア: 文庫
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『愛人(ラマン)』は、フランスの女流小説家、マルグリット・デュラスの自伝的小説です。 以下、引用は上の本より。記述が長いので省略した部分は、……を入れます。
十八歳で私は年老いた。
18歳のマルグリット・デュラス。
マルグリット・デュラス (1914年4月4日 - 1996年3月3日)
フランス領インドシナに生れる。(現在のベトナム・ホーチミン市)
『愛人(ラマン)』に描かれているのは、主に彼女が15歳半~17歳までの間。
17歳で、故国フランスへ生れてはじめて戻るまで、インドシナに住んでいました。
父が亡くなり、母が財産をなくし、上の兄は麻薬中毒、下の兄は弱い子供。
植民地の貧乏白人だったのです。
デュラスがこの小説を書いたのが1984年、70歳の時のことであるので、時折、時代と場所を超えて浮かぶイメージがたくさん挿話されて、物語を美しく幻想的に彩る。失われたものへの悲しみ……あるいは、消えない恨みといったものが、あるところでは少女の気持ちで、あるところでは、あきれるほど子供っぽい大人の回想として、いろんな場面で繰り返し降り積もるように描かれる。
自身の18歳の写真を見つめるデュラスの思い。
いま、わたしにはありありとわかる、わたしはとても若いころ、十八歳のとき、十五歳のときに、あの顔を持ってしまったのだ、中年になってアルコールとともに身につけた顔の予兆をなすあの顔を。……アルコールによるこの顔は、アルコールをたしなむまえにわたしに訪れた。アルコールはこの顔を確認しにやって来たわけだ。わたしのなかに、あれ※のための場所が用意されていたわけで、ひとなみにわたしもそのことを知ったのだけど、奇妙なことに、その時期になるより以前に知ったということになる。同様に、欲望のための場所がわたしの中に用意されていた。十五歳で悦楽を知っているような顔をしていた、でもわたしは悦楽を知らなかった。そういう顔立ちがじつにありありと見えていた。母でさえ、それを見たはずだ。兄たちには見えていた。すべてがわたしにとって、そのように始まった、あの目立つ、憔悴した顔とともに、時間に先んじて、つまり実地の経験に先んじて隈のできていたあの眼とともに。
(※ 訳注を要約すると、性行為のこと。)
18歳の自身の写真を見ると、デュラスは思うのだ。アルコール・性行為・悦楽がもたらすべき 隈(くま)のできた顔を、その時期が来る前に若くして身につけていた、と。
そんな風に言われて写真を見なおすと、美しい少女の顔に確かに凄みが感じられてくる。谷崎潤一郎が『刺青』で娘の容貌について書いた箇所を思い出させる。
『刺青』より
その娘の顔は、不思議にも長い月日を色里に暮らして、幾十人の男の魂を弄んだ年増のように物凄く整って居た。
回想は続く。
言いそえれば、私は十五歳半だ。
十五歳半の少女は、現地人用バスに乗って、学校の寄宿舎へ戻るためにメコン河を渡る。バスはそのまま大きな渡し船に乗り、船の上で少女は決まってバスから降りて河を眺める。
生涯をとおして、これほど美しい河、これほど原始のままの河を二度と見ることはないだろう
という、雄大な河を。
その頃の写真があったら……。と何度も思ったらしい。現地人ばかりの渡し船の上にいる白人の少女。彼女の服装・容姿・雰囲気が子細に綴られる。
わたしはきなりの絹の服を着ている。着古されてほとんど透けてみえるほどの服。……この服は袖なしで、胸もとが大きくあいている。……腰には革のベルトを締めた……あの日は金ラメ入りハイヒールという代物をはいているはずだ。
薄着なのは、暑い地域ではありますので。
あの日の娘の服装で、異様さ、途方もなさをなしているのは靴ではない。あの日のありようはというと、娘は縁(つば)の平らな男物の帽子、幅ひろの黒いリボンのついた紫檀色のソフトをかぶっている。……わたしが冗談に、どうこれ?とソフトをかぶって店の鏡に映してみた、すると男物の帽子の下で、みっともないあの痩せた姿……がまるでちがって見えた。……まあ、これがのぞみだったんだわ。……あらゆる男たちの意のままになる姿、あらゆる男たちの眼差の意のままになる姿、四通八達の都市や道路網のなかに、欲望の流通過程のなかに投げこまれたような姿、そんな姿を見せている。
だぶだぶで、 スケスケのノースリーブの絹のワンピースに男物の革ベルトを占めた少女。ふざけてかぶった男物のソフト帽に、自身の色気を感じて手放さない少女。
美しい髪をしていて、それをおさげにしている。すでにお化粧もしていて、そばかす隠しにクリームを塗り、パウダーをはたき、ルージュも塗っている。
渡し船の上には、お仕着せを着た運転手のいる黒い大型リムジンがある。
リムジンにはとても上品な男が乗っていて、私をじっと見つめている。白人ではない。ヨーロッパ流の服装、サイゴンの銀行家たちのような明るい色の絹袖のスーツを着ている。わたしをじっと見ている。わたしはもう男のひとからじっと見られるのに慣れている。
写真は1992年の映画から。マルグリット・デュラスは、この映画が気に入らなかった言う。
遅筆ですみません。続きます。