「沈黙 サイレンス」 布教は正義なのか?アンドリュー・ガーフィールドはかわいいけど。
1月に入ってからなかなかブログが書けず、観た映画がたまってしまいました(*_*;
一番最近に観た映画からのご紹介です。
「沈黙 サイレンス」
オフィシャルサイト:映画『沈黙‐サイレンス‐』公式サイト
この映画、私の読書会のメンバーの間で話題になったとき、拷問のシーンとか辛そうで観たくないと言う人が多くて、「でも、私たちゲーム・オブ・スローンズ観てるから、残酷シーンに耐性あるよね」なんて言う人もいて(笑)「あら、明日観に行こうと思っていたのにどうしよう?」なんて思いながらやっぱり観に行ってきました。原作の遠藤周作の『沈黙』を読んだのはずいぶん昔です。
これは、観に行ってよかったですよ!!
17世紀、江戸初期。日本に布教に行っていた宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)が、日本で棄教したといううわさが流れ、フェレイラの弟子、ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライバー)は、漂流して国外にいた 日本人キチジロー(窪塚洋介)の手引きでマカオから長崎へと潜入する。
映画の冒頭で、他の宣教師らが拷問されるところを見せつけられているフェレイラの姿がある。
フェレイラは本当に棄教したのか?もう日本へは宣教師を送らないとする修道会に対して、弟子の二人はその噂を信じず、それならば逆になお、日本へ行ってフェレイラを助けなければ、と決心するのだった。
ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)は、輝く目をした優しい青年だ。
相棒のガルペ(アダム・ドライバー)は、真面目で厳しい青年だ。
なんてこと!スパイダーマンとスター・ウォーズのカイロ・レンだ~!!!
二人を案内するキチジロー(窪塚洋介)は、いかにも信頼できなさそうな、おどおどした男だ。しかし、彼の手引きで二人は隠れキリシタンの村人たちと出会う。
食べ物もろくにないような貧しい村で、こっそり信仰を続けてきた村人たちの姿に二人は感動する。しかし、導くものもないまま守ってきた信仰の形はちょっと違っていたりもする。偶像崇拝はダメなんだけど、何かものをほしがったり……。
隠れていても次第によその村にも伝わり、よそからも隠れキリシタンが祝福を求めて集まってくる。そのうちに、二人も長崎奉行にとらえられてしまった。
以下、ネタバレの内容を含みます。
ガルペは、自分が棄教しない代わりに殺される信徒を救おうとして命を落とす。
長崎に送られるロドリゴ。通辞(通訳)で出てくる浅野忠信は、いかにも今まで出会ってきた日本人とは違う、知性のある男だ。
そして、好々爺のような微笑みを浮かべているのが、一番の迫害者として名高い井上筑後守(イッセー尾形)
そして、噂は本当だった!!フェレイラは棄教して、日本名を名乗り、日本人の妻子もいるのでした。皆が、ロドリゴに棄教を迫る。「転ぶ」「ころぶ」と日本語で迫られます。
キリスト教では、天国に行けるからと殉教することを恐れないところがあるので、殺すより、棄教させるためにわざとむごい拷問を行ったそうです。
自分が受ける拷問より、自分の代わりに信徒が受ける拷問のほうがより辛い。
なぜ神は苦悩する人間の前に姿を現さず、沈黙を貫くのか。ロドリゴはどうするのでしょう……。
アンドリュー・ガーフィールドは、久しぶりに見たのですが、とってもよかったな!高い志を持ってやってきて、貧しい信徒たちに愛情を注ぐ、青年宣教師の役がぴったりでした。もう33歳くらいだけど若く見えますね。カイロ・レン、もといアダム・ドライバーも好対照でいい相棒役でした。
アカデミー賞では、俳優の賞には誰もノミネートされずちょっと寂しかったのですが、ノミネーション発表の時、Wowowでは、イッセー尾形、窪塚洋介が入らないかな~って言っていたと思うのですが、私は浅野忠信がよかったです。この役者さん、今までそんなに気にいってなかったのですが、この通辞の言葉には説得力を感じました。
実は、最近この本を読んで、魂を揺すぶられる気持ちになっていて、
何を見てもアチェベを思い出してしまうのです。
この本は、ヨーロッパの植民地支配が始まる前夜のナイジェリアの部落を描いたもので、暗黒大陸のように思われていたアフリカにも、独自の豊かな文化があったこと、ヨーロッパの支配は、宗教を先頭にして入ってくることが書かれています。
元々の信仰や守ってきた掟には、例えば双子は不吉だから生まれても捨てちゃうとか、そんなのもあるわけで、親の世代に反発する子供は、そういうものも全て救うキリスト教に改宗してしまうんですね。最初は人々の心をつかむ宣教師がきて、そのうちに教会が建ち、裁判所が作られ、村は乗っ取られてしまいます。
それで、私は「沈黙」を観てもこんな風に思ってしまうんです。一度入ってくると人々の心に根付いて広まる一神教の力はすごい。日本があの時代、あれだけ酷いことをして防がなかったら、その後日本はどうなっていただろう?
ロドリゴたちが見た、貧しく健気な信徒たち。でも、宗教はそういう弱いところにどんどん付け込んで入ってくる。やはり一神教は怖い、なんて思いながら見ていました。カトリックだった遠藤周作はどんな思いで書いたのか、一神教は怖いぜなんて、思ってほしくなかったんだろうなと思ったりするのでした。
原作も、もう一度読んでみよう!ガーディアンお勧めの1000冊にも入っているのです。
(反省のおまけ)
以下のサイトで、遠藤周作さんの40分ほどの講演が聞けます。
『沈黙』の発表直後の講演を期間限定無料公開!(2017年3月末まで)
期間限定だなんて、新潮さんたら……。
聴衆を笑わせながら「笑わないでください、何しゃべってるかわからなくなっちゃうから」とおっしゃる狐狸庵先生。お話おもしろいです。
この本についてキリスト教関係の人たちから何か言われても勉強にもならない、キリスト教に無関心だった人から「私たちには時代の踏み絵、一人一人の生活の踏み絵があったのだ、ということがわかりました」という感想をもらうと、とてもうれしい。
戦争中に青年時代を送った自分は、本意でないことをした、それは踏み絵を踏まなくちゃならなかったことだった。
というようなお話を聞き、私はアチェベの本にとても心を揺すぶられていた後だったので、宗教怖い、というような感想を持ってしまったけど、もっと主人公に共感して観るはずの映画だったな~と、反省しました。
映画は(いくら残酷シーンに耐性があっても)もう観ないかもしれない。でも『沈黙』はもう一度読みたいな、と思いました。
(おまけの2)
「加瀬亮が、どこに出てきたかわからなかった~」と娘に言ったら、「小松菜奈ちゃんと一緒にいた人。頭切られて転がってた人」と教えてくれました。キャー……。