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この映画観たよ。

神奈川近代文学館「夏目漱石展」と『草枕』 前編

読書会の遠足で、神奈川近代文学館の、特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を観に行こう、ということになりまして、お天気のいい土曜日に行ってきました。

 

www.kanabun.or.jp

今頃のご紹介ですみません。5月22日(日)までです。ご興味のある方はお早めにどうぞ!

    

読書会なので、課題本も決めておきましょう、ということになると、「ちょうど今読んでいるのでこの本はいかがでしょう」とメンバーの一人が出してきたのが

草枕』です。

思わずみんなの頭の上に、「難しい」「難解」「読みにくい」という文字が浮かぶようでした……笑。

 

漱石は好きなので『草枕』は、若い頃に読んだはず。いや、最後まで読めたのかな?あまりよく覚えてないな。この際きちんと読んでおこう、と思ったのでした。

 

明治元年生まれの夏目漱石は、今でもとても読みやすいし、実際よく読まれている作家だと思います。前期三部作の『三四郎』『それから』『門』は、青春、恋愛を軸に、明治時代の西洋への憧憬と批判、日本の将来を案ずる気持ち、家長制度や階級、人生観、死生観などをその時代の他の人にはないようなパースペクティブな視点で描いてあり、(あっ!うまく言えないから横文字を入れた!涙)時代を超えて現代にも通じるものがあり、漱石の慧眼なことに驚きます。

 

後期三部作の『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』も好きです。行人のお兄さん、一郎とか、こころの、膨大な遺書を書いてしまう先生とか、すごいいいじゃないですか。(あ!こちらはいい加減なことを…。)

 

草枕』について 

 

草枕 (新潮文庫)

草枕 (新潮文庫)

 

 今回、読んだのは新潮文庫です。

青空文庫でも読めてしまう漱石ですが、『草枕』は、東西の芸術の知識が総動員されているので膨大な注がついています。そして定番の漱石研究家、江藤淳さんと、柄谷行人さんの解説がついています。 年表もあって便利です。

 

草枕』で、誰もがすぐ思い浮かぶのは、(そしてそれしか思い浮かばないことが多いのは(^-^;)冒頭の名文句でしょう。

 

山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

 

……住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い

 

ということで、青年画家は画材をかついで山奥の湯治場へ行く。ここで、芸術論を展開し、ある境地にいたって、それを表さなければいけない。画で表せなければ、音楽がいいが嗜みがない。詩で表すのがよいようだ……と漢詩を書いたりして、それはとても高尚なのだが、一方、旅館の娘はわけありの美女である。

那美(なみ)さんというこの美女、三角関係の末に結婚したものの出戻りで、気狂だとか噂されています。

そして、画家の前に出るたびに、何やら思わせぶりな態度。嫁入りの時の振袖を着て歩いてみせたり、入浴中に入ってきて裸体をみせたり、死ぬことをほのめかして短剣の白刃をきらめかせたり。

青年画家の高尚な思考を読む間に、読者は、早く那美さんが出てこないかな~と思ってしまうような……。笑

 

 

ちょっとあんちょこに頼ろうと思って、同じ新潮文庫の文豪ナビも買いました。 

文豪ナビ 夏目漱石 (新潮文庫)

文豪ナビ 夏目漱石 (新潮文庫)

 

 この、文豪ナビシリーズ、谷崎潤一郎も読んだのですが、「10分で読む「要約」」がなかなか良くできていると思います。「「あらすじ」ではありません!名作の味わいをプチ体感。」と書いてありますが、本当に、元の本の香りを残したまま、こんな話か!と分かりやすく書いてくれています。『吾輩は猫である』と『坊っちゃん』と『草枕』の要約があります。ラッキー(^^♪

 

でも、「超早わかり!漱石作品ナビ」のところでは、なんと『草枕』の主人公が那美さん、と紹介されているではありませんか。

 

わーーーこれは、ばっさり!確かに那美さんの部分だけ拾っていけば、ちょっと下世話ではあるものの、筋の通った話になりますからね。

 

(このナビの中では、主に『こころ』について書いてある、三浦しおんさんのエッセイがおもしろかったです。)

 

他の人が持ってきたこの本もよさそうでした。 

草枕 (小学館文庫)

草枕 (小学館文庫)

 

 この本は、注釈の内容がそのページについているんです。いちいち後ろを観なくて済みますね。『神様のカルテ』の夏川草介さんの解説もよかったそうです。漱石の大ファンだそうですね。

草枕』を読み込んでいるなんてすごいなー。と思うのでした。

 

自分を描いてほしい、という那美さんに、画家は「何かが足りない」と言います。初心な三四郎などと違って、三十才の画家は那美さんとぶしつけな言葉の応酬ができる男です。

那美さんは、日露戦争に出征する従兄弟に、「私が軍人になれりゃとうになっています。今頃は死んでいます。久一さん。御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞がわるい」と言うような気丈な女。「死んで御出で」と見送ったその汽車に、元の亭主が乗っていて、動き出した汽車の中から顔を出す刹那、那美さんと目を合わす。その時那美の顔に浮かんだ憐れ(あわれ)を見て、画家は「それだ!それが出れば絵になりますよ」と言う。もやもや~とした小説を、びしっと締めるすばらしい最後です。

 

近代文学館まで、たどり着きませんでした(汗)。後編に続きます。

 

(おまけ)

草枕』冒頭の、「智、情、意」と言う言葉を、立花隆さんのクローズアップ現代の中で聞いたので、ちょっと引用しておきます。

www.nhk.or.jp

●自身の思考力を培ううえで、どんな経験が役に立ったか?

それは、圧倒的に本を読む経験ですよね。
だから、本っていうのは、じゃあ、なんなのかということになりますけれども、それは僕は、ひとまとまりの知識だと思ってるんです。
つまり本を1冊読むと、そん中にまとまって封じ込められてる知識みたいなものがあって、それが自分に獲得できる、そういうメディアなんですよね。
それで、ただ、そういうふうに言うと、その中に込められている知的な部分だけみたいな感じになりますけど、そうじゃなくて、僕は本ってのは、総合メディアだと思ってるんですよ。
(総合メディア?)
つまり、人間の脳ってのは、基本的に知と情と意と、知情意が総合された。
(知が知識、情は感情の情、意は?)
意は意欲の意、意思の意ですね。
それが全部あるのが、この脳なんですね。
それで、本を語るときに、わりとしばしば、人がやりがちなのは、もっぱら知のメディアとして考えちゃうんですね。
本というのはそうじゃないんです。
情の部分がものすごく大きくあって、意の部分がものすごくあって。
(意の部分というのは?)
意の部分っていうのは、例えば、ビジネスの世界でもいいし、あるいは戦国時代の話でもいいけれども、いろんな人物の行動を通して、人間の意思の世界っていうかね、それにどれほど人間が突き動かされて、その中で、どういう判断をするかが重要なのかっていうそういうことを学習することが、その人の人生にとって、ものすごく重要でしょ。
そういうのがその本で、そういうことについて、そういうことを物語化して書いたエピソードの集積によって、その人は学習するんですね。
つまりいろんな人の意を決する場面、そういうものが、どういう結果をもたらしたかみたいなね。
それは本を通して、疑似体験を自分の中に入れることによって、それが学習できるわけですね。
(その中で感情も揺さぶられる?)
だから、情の部分がそうですよね。
だから、その全部を合わせた体験を与えてくれるのが本というメディアだから、本は常に、総合メディアとして考えなきゃいけない。
この単発に、知識だけ、文章を書くとき、いい論文が書けたかみたいな、そんな話をすると、本っていうものの世界をわい小化することになっちゃうと思うんですよね。

(おまけの2)

草枕』本文中でしばし出てきた、ミレイのオフィーリア 

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