大岡信詩集 「丘のうなじ」
以前、私のこの記事で、
朝日新聞のこの記事を引用していたのですが……。
その記事がデジタル版公開期間終了になってしまったので、どんな記事だったのか記憶を頼りに覚書です。
谷川さんが、大岡信さんの選詩集を作った。その中に、40年前に大岡さんから谷川さんあての詩があり、40年後の今、その返歌ならぬ返詩を書いた。病床にある大岡さんは、奥さんに読んでもらって涙した、というような話だったと思います。胸が熱くなりました。
文中話題になった詩集を読んでみました。
これは、谷川俊太郎さんが「大岡信全詩集」(思想社)、「旅みやげ にしひがし」(集英社)から選んで編んだものです。
1600頁を超える『全詩集』とその後の『旅みやげ にしひがし』から、一冊の線詩集を編むのは至難の業だったが、これを豊かな大岡世界のビオトープとして受け取ってもらえることを願っている。
(あとがきにかえて 谷川俊太郎 より)
大岡信さんと谷川俊太郎さん、1931年生まれの同級生。長年の「詩友」。
大岡信さんから、谷川俊太郎さんへの詩はこれです。『丘のうなじ』p100
ほんの少しだけ、抜粋します。
「初秋午前五時白い器の前にたたずみ 谷川俊太郎を思ってうたふ述懐の唄」
鶏なくこゑす 目エ覚ませ
死ぬときは
たいていの人が
まだ早すぎると嘆いて死ぬよね
こんな風に始まって、まだ40代の大岡さんが、生と死と、自分の軌跡と、谷川さんへの思いをうたう詩です。これはラブレター?こんな詩をもらったらくらくらしちゃいませんか?
君のことなら
何度でも語れると思ふよ おれは
どんなに醜くゆがんだ日にも
君のうたを眼で逐ふと
涼しい穴がぽかりとあいた
牧草地の雨が
糞を静かに洗ふのが君のうたさ
牧草地の糞とか、肉だんごとか、谷川さんの詩の引用もあり、最後はユーモラスに終わります。
この詩を詠んだ大岡信は40代でした。この詩の前に1967年に亡くなった友人を悼む歌がありました。40代に入り「早すぎる死」の可能性を意識するようになったのでしょうか。自分のと、自分の大切な友のと。幸いなことにお二人とも早世の難は免れました、しかし、今年85歳になるお二人には……。
「初秋午前五時白い器の前にたたずみ 谷川俊太郎を思ってうたふ述懐の唄」という長い題名の詩を大岡が書いてくれてから、四十年近い歳月が過ぎたとはどうしても思えない。大岡との長いつきあいは、いつもその時々に於いて大変生き生きと今現在なので、それを回顧するというような形がとれない。
この〈述懐の唄〉に、今になって返歌ならぬ返詩を書くことが出来たのも、私たちのつきあいの presence が、時間に影響されていないからだろう。 (あとがきにかえて 谷川俊太郎 より)
谷川俊太郎さんの返詩です。これもちょっとだけ抜粋。
「微醺をおびて」
おおおかぁ
おれたちいなくなっちゃうんだろうか
早すぎるとはもう思わない
でもおれたち二人の肉だんごもいつかは
おとなしくことばと活字に化してしまうのかな
イッスンサキノ闇についらくするだけなのかな
そんなこたぁないとおれは思う
そして最後は、「おおおかまこと」を頭文字にした、アクロスティックで結ぶ。
このアクロスティックも、ちょっと寂しい……。
朝日デジタルから早々に引っ込められた著作権関係が気になりますので、ぜひ、お取り寄せの上お読みください!笑
箱に入った素敵な本です。装丁は安野光雅さん。
(おまけ)
詩をまとめて詩集として読むのは実はそれほど得意じゃないので、(詩を読むなら一つずつぼーっとしながら読みたいのです)ここで私の感想を入れるのもはばかられるのですが、ちょっと感想を。
大岡信さんの詩集は初めて読んだのですが、短い言葉で、別世界へあっという間に連れて行ってくれるような鮮烈な印象や、自然や生き物の気配、難しいときも、わざと難しくしているようないやらしさがまったくないというような感じがしました。 難しかったんだな?うん、時々難しかった。
「母を喪ふ」とか、よかったな~。みんな思うんじゃない?お母さんのことを思うとき、自分を呼ぶ声を。その調子を。